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 このページは、かつて本混の機関誌『たどぽうる』に連載されていた“れこおどふぁん放言録「蚯蚓の膽言(みみずのたわごと)」”の続編にあたるもので、近頃耳にしたCDを中心に、音楽と演奏について言いたい放題を書き連ねる中に筆者の本音が見えてくると思います。練習が忙しいときは更新が途切れがちになるなど、その時の気分にまかせ、重厚にして軽薄、意気込み高くして無責任な新ダマさん節をお楽しみ下さい。なお、ここで取り上げたCDは、ダマ宅に連絡すれば、いつでも聴くことができます。

  
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 オッペケペー節」と「室町歌謡BASARASARA

 時々、吾ながら呆れるような、変わったCDを買い込んでくる癖がある。例えば、川上音二郎一座がパリ万博に出演のため渡欧中の1900年にパリで録音した貴重な音源。日本人初のレコード録音で(今までは1903年・東京での米国の出張録音と思われてていた)憲政の歴史に名高いあの「オッペケペ−節」に始まり、新内、声色など数多くも雑多な19世紀の音である。現代人の趣向をもってすれば、聞き通すのに少々辛い点も少なくないし、どう言う経緯か(解説書はいろいろと憶測しているが)肝心の川上音二郎とマダム貞奴が参加していない。とは言え、どんなに貧しい録音でも、一世紀前の日本人がどのような声で語り、演じたかを「現実の音」として聞けることは貴重な体験である。僕自身は昭和一桁の浅草生れだから、今生きている日本人の中では明治時代の言葉、そして江戸の言葉に一番近い方だと思う。古典落語の名人・志ん生や金馬の語り口には確かに粋な江戸っ子のフレーバーが残っていたが、このCDは凄い。そして杵屋君三郎の三味線の旨さ、何より正確無比な音程の良さには恐れ入った。以前は三味線弾きの音程の悪さを日本音楽独特の音感かと勘違いしていたが、これをき聴くと「日本旋法も純正五度律に基づいている」ことがよくわかる。そして肝心の「オッペケペー節」では、過激な内容の歌詞が盛り上がるにつれてテンポが早くなり声も荒々しくなっていくのが面白い。こればかりは百年後のわが本混もきちんと受け継いでいる日本音楽の精粋である。  
 芝山千之丞一座による「ハイパー室町歌謡曲・BASARASARA」も変わっていて面白い。狂言に出てくる室町時代のはやり歌のパロディと、自由闊達な芸の飛翔で、崇高かつハチャメチャな音空間が、能楽の囃子から時にはラテン・パーカッションまで動員して眼前に展開される。狂言の科白は所謂「文語体」ではなく、当時の「口語」であるから、日本語の語りが生命で、その点では川上一座に共通するものがある。とにかく古い時代の日本語は、現代人とは別の国の言語のようで、しかも生き生きと跳ね回る。この徹底的な古さの中に生きている「生命力」には現代人はとてもかなわないのではないか。しかし、バッハやベートーヴェンとは言わず、ヴェルディやプッチーニだって、まさに世紀の変り目に活躍した音楽家で、欧米では古い時代の様式の美しさを表現することは芸術を志す者の当然の義務となっているのだ。「古いイタリア語では現代人にはピンとこないからリズムや音色を変えて」などと得意になっているフィリッパ・ジョルダーノのような馬鹿はやりたいようにやらせておけばよい。本混の諸君、例えば童謡一曲歌うにしても、北原白秋や野口雨情の詩を美しい響きの日本語で歌う心構えは本当にできているだろうか。
                        
                                     
2002.5.15

エルナ・ベルガーとの再会

 秋葉原の石丸電機で輸入盤CDを漁っていたら、エルナ・ベルガーの復刻盤を一枚見つけた。僕が若かった頃はまだ78回転SPレコードの時代だったが、LP時代になっても貧乏な僕は高価なLPレコードを買えなかった。辛うじて月賦で手に入れた安物のスリー・スピード・プレイヤー(78回転・45回転・33.3回転切替、ターンオーバー式超安物クリスタル・ピックアップ)を五球スーパー式ラジオにつないで主にSPレコードを聴き、たまに手に入れられるのが45回転シングルまたはEPレコ−ドであった。ついでに解説すると、45回転盤総てEPレコ−ドと呼ぶのは間違いで、EP=Extended Playing つまり音量の大きい部分は音溝の幅を広げ、小さい時は幅を詰めることにより演奏時間を拡張したレコード、つまり通常のシングル盤は片面4分間程度なのにEPはおよそその2倍録音でき、ポピュラーなら片面2曲入る得用盤であった。そしてクラシックでもシングルやEPが発売されていた。例えば「チゴイネルワイゼン」はSPなら1枚両面にわたったもを、EPなら片面で納まったのである。今のようにどんな短い曲でもアルバムものにするより、好きな曲、必要な曲が一つずつ選べるのは、僕らプロレタリア(死語?)には極めてありがたいことであった。
 閑話休題。その頃、戦前からの大演奏家と新しいスターたちの世代交代がクラシックの世界でも起きていた。イタリア・オペラの世界では、ソプラノのレナータ・テバルディとマリア・カラスが天下の人気を二分し、テナーではジュゼッペ・ディ・ステファーノとマリオ・デル・モナコ、フェルッチョ・タリアヴィーニが、今の三大テノールのようにもてはやされていた。そしてドイツ歌曲の世界で、イタリア・オペラと比べたら極めて地味な存在だが、エルナ・ベルガーとリタ・シュトライヒが紹介されていた。(フィッシャー・ディースカウはまだ未発売、シュトライヒについては項を改めて紹介する)日本ポリドール=ドイツ・グラモフォン社は、ベルガーの歌うシューベルトやブラームスを何枚かのEPレコ−ドで発売してくれて、へそ曲がりの僕は、テバルディやカラスより、ベルガ−をよく聴いた。本当のことを言うと、テバルディやカラスは高価なLPでなければ入手できなかっただけである。いずれにしても、僕にとってベルガーは戦後の世代のリート歌手、戦前の大歌手エリザベト・シューマンやロッテ・レーマンが衰えた時、彼女らにとってかわる新時代の旗手としての存在だった。繊細優美でウィーンの薫りそのそものとも言うべき、誰にも真似ができない、それだけに少々アクが強いE.シューマンや、豪放磊落な(つい難解な単語を使って御免、でもこの言葉でないと表現できないのだ)レーマンと比べて、ベルガーはノーブルそのもので、質実剛健のドイツ風。しかも録音が格段に鮮明であった。彼女が歌うシューマンの『胡桃の樹』やブラームスの『五月の夜』、特にシューベルトの『夕映えに』の悠揚迫らぬ穏やかな美しさは僕を陶然とさせた。今度のCDはオーストリアのSP盤復刻専門のレーベル“Lebendige Vergangenheit”の「ベルガ−第3集」。このレーベルのレコードはLP時代からよく聴いていて、ローズ・ピンクの地にモノクロ写真を配しただけの、華やかでいて簡素なジャケットも昔と全く変わっていない。(面積は断然せまくなった。この点はLPが有利)
 ところで、である。冒頭のモーツァルト作曲ハ短調ミサのアリアを聴きだした途端に妙な違和感を覚えた。そう、決して邪魔ではないのだが、SP特有の針音が美しい声のバックに立ちこめていたのである。情報量が少ない時代だからやむを得なかったとは言え、つい先刻まで、僕の記憶の中のベルガーはLP時代の名歌手だったのだ。早速解説のブックレットを開く。以前、この会社の解説や盤面はドイツ語のみで表記され、うっかりするとイタリア・オペラやロシア・オペラの題名まで独訳で、実際に鳴らしてみないと何の曲か解らないことさえちょいちょいあったが、さすがに今は英語とのバイリンガルである。しかし他の言語から翻訳された英語は読みやすいとは言えない場合が多い。とにかく何とか拾い読みをして驚いた。「ベルガーは1900年にドレスデンで生まれ…」何だって? そうか、僕が若い頃聴いたベルガーのレコードは彼女の引退直前の録音だったのだ。それにしては若々しくて美しい声だったが、今CDが奏でているベルガー、1947年から50年の録音(49年からはテープ録音)も、今聴くと決して若い声ではない。思えば、ノイズにまみれたいたE.シューマンらのSPレコードに比べて、音質が鮮明なベルガ−のドーナツ盤は、現実以上に軽やかで透明で美しく聞こえたのかもれないのだ。勿論、極東のファンの勝手な思い込みがベルガーの芸術を少しも貶めるものではないのだけれど。
 いずれにしても、ベルガーもとっくの昔に旧世代の骨董的演奏家の仲間入りをしてしまった。細かいフレーズの表情も、喉を丸めた発声も、20世紀前半のそれであって現代の歌手とは明らかに味わいが違う。かのフィッシャー・ディースカウはリート歌唱の改革者として、戦前の名歌手たち、スレザークやシュルスヌスの主情的な解釈を乗り越え、より客観的にして細部までおろそかにしない緻密な歌唱スタイルを確立したが、1990年代からの方向は、フィッシャー・ディースカウをも大きく凌駕して、より人間の内面に迫る歌唱が追求されるようになってきた。バーバラ・ボニーもシュトゥルツマンも、とにかく見事な歌唱であるが、何か哲学の講議を聞かされているような、或いは人世論を一方的に語られているような鬱陶しさがつきまとう。フォン・オッターあたりは声が低いだけに包容力と暖かみがあるような気がして、いくらかマシだ。声種で言えばシュトゥルツマンだってオッターと同じメゾだけれど、何かフェミニズムの闘士が演説しているような(それはそれで立派なのだが)或いは社民党の土井党首がリートを歌っているような、とにかく単純に歌を楽しむことを拒絶する何かが潜んでいるのだ。また、現代の歌手に共通するのは、母国語に限らず、あらゆる言語を操ってあらゆる時代の作品を歌えることだ。オッターのフォーレやドビュッシーには舌を捲いて驚いたし、彼女らの生れや国籍を問うこと自体、ナンセンスの極みなのだ。しかし、国際化すればするほど、あの発音の曖昧さを問題にする評論家が存在しないことが僕には許せない。昔の名歌手たちの、母国語の発音のみごとさと明晰さはどこへ行ったのか。まあ、逆に言えば、母国語以外の歌詞を自然に歌えたのはフィッシャー・ディースカウとシュワルツコップくらいで、特にイタリアを始めとしてヨーロッパの歌手たちの歌う“英語のヒドさ”と言ったら壮絶だったことも忘れてはならないけれど。
 またまたもとに戻って、肝心のエルナ・ベルガーである。今考えると、この人の穏やかな歌唱の良さは多分B級演奏家の味わいであることだろう。しかし田舎の叔母さんが自慢の郷土料理を作りながら得意の一節を口ずさんでくれるような、懐かしさに溢れた歌い口は、触れれば血が出るように鋭く磨かれた現代の歌唱へのアンチテーゼとしても僕には嬉しい。昔『たどぽうる』誌上でマコーマックやスレザークの古いけれど暖かい歌を礼讃したのと似通ったテーマになってしまった。相変わらず進歩していないのか、人間の感性は本質的には変化しないことの証明なのか即断できないが、鮮鋭な演奏ばかりが能ではない“お人好しのモーツァルト”、しみじみと感傷に訴える“涙もろいシューベルト”に久しぶりに巡り会って、すこぶるイイ気持ちであったことだけは誰にも否定できない事実である。エルナ・ベルガー、忘れられかけたこの名前、頭の片隅にそっと置き、どうぞ憶えておいて下さい。

                                      2002.5.30

マリオ・ランツァのことなど

 一昔前、レーザー・ディスクとVHD方式ビデオ・ディスクの優劣が話題になった。多くの雑誌は「どちらも画質は良好」などと見え透いたウソを並べていたが、僕の目には圧倒的な差でレーザーが良かった。これはVHSとベータの差などというものではなく、ランディ・ジョンソンと岩田鉄五郎(水島新司作『野球狂の詩』に登場する超スローボールを操る老投手)ほどの違いがあった。にもかかわらず、何故VHDプレイヤーを購入したのか。当時VHDでしか見ることのできないソフトが多数存在したからである。思いつくままに並べると名子役クロード・ジャーマン Jr.とグレゴリー・ペツクの『仔鹿物語』、スタインベック原作、ジョン・フォード監督の『怒りの葡萄』、そして1951年度アカデミー賞(但し録音賞)『歌劇王カルーソ』である。ついでに、ベータ・ビデオを愛用したのは、当時としては画質が優れていたことの他に名画『カーネギー・ホール』のソフトがベータしかなかったからでもあった。DVDが普及した現在、遠い昔の話のような気がする。『仔鹿物語』も『怒りの葡萄』も、そして『歌劇王カルーソ』も、後日BS放送をS-VHSに録画したテープが、画質・音質共に圧倒的に往年のソフトを凌駕して、今は古いディスクを見る気にもなれない。
 さて、その『歌劇王カルーソ』である。かつて本混に上里町出身の加部君という不思議なテナーがいた。彼は古い土蔵の一室に電蓄(ワカルカナ)を据えて大音量でカルーソーのSPレコードを鳴らし、それと競い合ってバカデカイ声でヴェルディのアリアを歌う変人であった。『歌劇王カルーソ』に感激した彼は土蔵で怒鳴りあう相手を映画の主演者マリオ・ランツァ(当時は米国風にランザと呼ばれた)に置き換えた。まだまだカラー映画が少なかった頃、テクニカラーの鮮やかすぎる色彩、きらびやかな歌劇の舞台と衣裳、大げさな身ぶりで歌うアリアの数々に、若かった僕も打ちのめされた。しかし不思議なことが起きた。加部君に聞かせてもらったサントラ盤では、ランツァの音程が時々怪しくなる。同じ所を映画で見ても何ともない。僕は同じ映画をまたまた見に行った。(昔は同じ映画を何回も見たものである)例の「怪しい」ところで目を閉じて音だけ聞いた。やっぱり音程が危ない! この一件で「視覚からの情報は聴覚のそれを上回る」ことを実感した。昨今のアイドル歌手の怪しげな歌だって、テレビの画面では立派に見えるのと同じである。まあ、ここいらは文字通り“御愛嬌”であるが。
 そして、そのランツァである。当時の日本のマスコミは、「偉大なカルーソーを三流テナーに歌わせたアメリカ映画の愚劣さ」を喧伝し、僕も何となく納得していた。けれど後日、大昔の大歌手と若いランツァを比較すること自体が無意味なこと、そしてランツァが彼本来の土俵であるミュージカルものを歌う時、特に『スチューデント・プリンス』の圧倒的な歌唱力に圧倒された。そして例のVHDソフトの出現である。久しぶりに見た(聞いた)ランツァは、余分な評論に影響された偏見など吹き飛ばし、多少の音程のアヤシサなど問題にならないほど魅力的であった
 例の“三大テナー”たちは口を揃えて「影響を受けたのはカルーソー、ジーリ、そしてマリオ・ランツァ」だと言う。ホセ・カレーラスは「子供の頃『歌劇王カルーソ』を見なかったら、オペラ歌手を志さなかった」と言い切る。アメリカの某評論家はランツァの最大の功績は大衆の心をオペラに惹きつけ、多くの若い才能が彼を目標にテナーをめざしたことだと述べている。しかし、五月に日本ビクターがランツァの復刻盤を発売したところ、『レコード芸術』誌の某評論家は「ランツァはただの映画俳優。歌が得意である点では現在のフィリッパ・ジョルダーノやアンドレア・ボッチェッリの人気と同じか」などと昔の連中と同じ馬鹿なことを平気で書いている。ジョルダーノは単に音域が広くて器用なので誰の発案かオペラ・アリアを題材に今風のポップスをやっただけで、ベルカントの味わいなど毫も持ち合わせず、ボッチェッリにいたってはテナーだという呼称さえ大ウソで、高い声も出る平凡なバリトンであり、歌い方はまさにデクノボーである。彼が障害に負けず舞台を目指した美談と、芸術家としての価値は別の次元のものであり、彼の歌に心震わせるおめでたい輩がいたとしても、数知れぬ程の往年の名作映画を見たことのないおバカな若者が『タイタニック』に感動したなどとヌかしているのと同列ではないか。ランツァの歌がまがいものだというなら、貴方が誉めているカレーラスさんも、ほんものの価値が解らない愚衆の一人と言うことになりますな。(特に『南太平洋』などクラシック歌手の順応性のなさ、不器用さをもろに露呈していた)要するに本格的に学校を出るか、定評ある名歌手に師事した経歴がブランドになるわけらしいが、学歴がものをいう日本の伝統など、今では世界に通用しないことは言う間でもない。そう言えば、日本ではあのタリアヴィーニでさえ「のど自慢上がり」などと陰口を叩かれたものだ。アメリカ版CDの解説書に、ランツァがミラノのスタジオでオペラのアリアを録音した時のエピソードが載っている。オケの連中も「アメリカ生れの若僧め、映画で聞いた歌は何かトリックでこしらえたものに決まっているさ。今日こそ手品の種を見つけてやる」と意地悪く構えていた。録音スタジオでランツァが最初のフレーズを歌い出した時、オーケストラが凍りついた。朗々と鳴り響いたのはまぎれもなく鮮やかなイタリアのベルカント、しかも極上の美声であった。イジメるつもりでいた海千山千の楽士達は、彼が本物であることを一瞬にして見抜き、彼と共演できることを無情の歓びと感じて、熱のある録音が出来上がった。イタリアの評論家やプロモーターは、彼のイタリアでのオペラ出演を熱望したが、スケジュールは2年も先まで詰まっている。そしてそのスケジュールを消化する前に心臓発作が若い芸術家を襲い、彼はかえらぬ人となった。いい話ですねェ。泣けるじゃありませんか。問題は彼の声の魅力を聞き取れるかどうかである。本場イタリアでの評価「彼はカルーソーのパワーとジーリの甘さを兼ね備えた史上稀に見る素質のテナーであった」… 僕も大賛成! イタリア系移民の息子であるランツァは、貧しさ故に正式な音楽教育をあまり受けていないが、トラックの運転手としてメトロポリタン・オペラの大道具を運搬していた時、口ずさんでいた歌を聞いてびっくりしたのが大指揮者ミトロプーロスで、彼の紹介でまずMGMへ行き、ミュージカル映画への出演が決まった。だからランツァは学歴無しの叩き上げである。僕は彼の「歌」を聞きたいのであって、経歴を聞くつもりなど微塵もない。才能のない者が経歴だけあっても、あんな魅力的な歌が歌えるものか。大体、オペラは本来「大衆芸能」だったのでである。日本の歌舞伎もそうだが、大衆芸能を「ゲージュツ」に祭り上げたとき、その芸能そのものが過去のものとなり、博物館展示品になってしまう。まず虚心坦懐に聞くこと。それもヴェルディだプッチーニだと言う前に「学生王子のセレナーデ」や「ドリンク・ドリンク」をマリオ・デル・モナコと聞きくらべること。偉大なデル・モナコがマントヴァーニの伴奏を従えながら、ランツァの前では第一ラウンド前半でKOされた二流ボクサーのように聞こえてしまう。ランツァのオペラは「余技」であったこと、そして「余技」を「本業」にすべくレールが敷かれる前に他界した不運を悼むこと。彼の美声を楽しむこともできず偏狭な「芸術論」を持ち出すようなアホな評論家どもに惑わされず、彼等の寝言を反面教師にすること。多少の不器用さは将来の飛躍を約束するものであり、不幸にしてそれが果たせなかったにせよランツァの歌が大衆の心にイタリアの歌の魂を刻んだ事実を誰が否定できようか。(段々興奮して筒井良隆風にアッチェレランドしてきた)僕はランツァのCDを10枚も買ったぞ。彼の美声と歌心はパヴァロッティにもドミンゴにも負けていないぞ。ボッチェッリと比べるなんて、お主の聴覚は正常か? そもそも音楽なんて本質的に「好きか嫌いか」じゃないか。何々、「お前の音楽論議もしつこくて嫌いだ」って? たいへん失礼しました。なにしろオリーブオイルたっぷりのイタリア料理を食べたところなもので…

  
筆者註:『カルーソ』は封切り当時の映画題名。人名としては「カルーソー」を使い分けています。  2002.6.2 



 ツェンダ−版『冬の旅』 〜今宵のダマさんは怒ってるぞ

 《東京の夏》音楽祭でテナーのプレガルディェンが歌った二つの『冬の旅』が話題になっている。第一夜は現代ドイツの作曲家ハンス・ツェンダーがシューベルトの原曲に「創造的翻案」を施した24人のアンサンブル伴奏版。『冬の旅』は思いきり良くリメイクされ、今の聴き手の刺激に慣れた耳に合わせて調整され、音の視覚的イメージも現代風に再構成される。吹きすさぶ嵐の描写など原曲を離れて目いっぱい書き込まれ荒涼とした心情を表す不協和な音響が至る所に加味される。『冬の旅』に、善良な市民の心の安寧を求めようとする聴き手を嘲笑うように。(2002.7.25/朝日新聞夕刊)
 そして独唱者は第二夜は一転してシューベルトの原曲を歌う。ツェンダ−版が現在の側から古典に向かうのと対照的に、古典の側から現在にアピールする方法を通して原曲の懐の深さを堪能させた…のだそうである。この試みは各種の音楽雑誌にも取り上げられ、クラシック界の話題になっているようだ。最初にお断りしておくが、僕はいわゆる現代音楽が嫌いではない。鬼面人を驚かすような無意味な音響の羅列は御免こうむるが、作曲者の深い心情の表現であるなら、選り好みはしない。一番好きなピアノ曲を訪ねられたら、モーツァルトやショパンをさしおいてメシアンの『アーメンの幻影』をあげるだろう。食わず嫌いは絶対にしない。そこで話題のツェンダ−版『冬の旅』であるが、ふと記憶の片隅にひっかかつている音響を頼りにCDの棚をかき回したら、出てきた出てきた、ホ−ラ出てきた。(このフレーズ覚えてますか、まあいいか)ツェンダ−本人の指揮でテナーのブロホヴィッツが歌う『冬の旅〜創造的編曲の試み』と題したRCA盤が。94年8月録音なのですでに8年の歳月が経過している。ということは面白ければもっと鮮明に記憶に残っている筈であり、必死に記憶を辿ると、“あまり面白くない”いや“つまらない”どころか、ありていに言って“二度と聞く気がしない”ほど不快に感じたシロモノであったことを、思い出してしまった。
 ライナー・ノートによると、我々は長い間、作曲者のオリジナルに忠実な演奏を心がけてきたが、楽器・ホール・些細な音の持つ意味など時代によって全て異なるのに忠実な再現など本来あり得ない〜と断定し、演奏家の創造的努力・気質・知性は、同時代の美学の影響の下で身についた感性と同様に、活き活きとした刺激的な演奏をするためにはぜひ必要とされる…云々。なるほど、お説の通りでしょう。ならば貴殿の提供される“創造的編曲の試み”だか“創造的翻案”だか知らないが、そのサウンドがオリジナルを飛び越えて、少なくともオリジナルと並ぶ音楽的感銘をもたらす内容を有するか否かだけが問題なのである。僕ははっきり
“No!”と断言する。相手がドイツ人だから“Nicht!”か。勿論これは僕の趣味だからツェンダーを肯定する方がいらっしゃることに文句はつけない。そして繰り返すが、拒絶の原因は「現代音楽への偏見」などという了見の狭さからでは断じてない。第一曲“Gute Nacht”の開始部分の「創造的翻案」について少し述べてみよう。まず聞こえるか聞こえないかの最弱音で何やらノイズのようなものが主人公の存在を暗示する。映像がないのがじれったいが、先ずこの部分からして不可解である。森羅万象を具体的な音響ではなくメロディーやハーモニーで表現するのが音楽で、サウンド・エフェクトならラジオドラマの領域とどこが違うのだろう。『冬の旅』を『森の水車』や『森の鍛冶屋』と同列に扱うのか。とにかくいろいろなノイズの中からピアニッシモのギターのコードが切れ切れに聞こえるとリコーダーらしき楽器がこれも最弱音で前奏の旋律の断片をチラチラと出す。やがて渾沌とした音の渦の中から突如としてトランペットのフォルティッシモが鳴り響いてはディミュニエンド、そこに絡んだクラリネットが高音に駆け登ってキィーッと悲鳴をあげる。(主人公の慟哭か?)やがて原作のピアノ前奏をそのまま弦楽四重奏に置き換えたものがピアニッシモで始まり、やっと曲になる。シューベルトがたった6小節で描いたものを、これだけしつこく手をかえ品をかえて提示するとは何と不経済な…(『冬の旅』のCDは通常1枚だがツェンダ−版は2枚組!)しかし歌い出す旋律は原作と変わりなく、発声もノーマルである… と思ったら途中で昔のレコードに傷がついて同じ溝を繰り返したように歌詞の同じ部分をしつこくリピート、やがて美しいメロディーはシュプレヒコールに変わり、伴奏はフル編成で暴力的なまでの強音をがなりたて、オープニングの最弱音で音量を上げてしまったのが運のつき、スピーカーコイルが焼きれるのではないかと思うほどの大騒動に発展する。これが「視覚的イメージ」とかいう御大層なものか? シューベルトがスコアに記した涙の跡はシネスコ画面一杯の無気味なまでのクローズアップでグロテスクに変型し、なまじ美しいメロディーが切れ切れに残っているだけに痛ましい。2曲目以降は言わずもがなである。現代と比べたら最小限の音で、例えば一瞬挟まれるだけの減七の和音だけで心の嘆きを生々しく描写していたシューベルトが、スピルバーグの特撮(古い!)SF映画か、時にはスプラッターなホラーになったりサーカスになつたり、サイレント時代のバスター・キートンの冒険大活劇そこのけに発展する。まあ、馬鹿騒ぎがお好きなのも趣味のうちで(僕もキートン大好き!)文句は言えないかも知れないが、あなたが聴いたことのない音楽の味わいを言葉で正確に述べることは本来不可能だから、これ以上書かない。興味のある方はぜひお聴きになって下さい。 (CDを自分で買って聞くのが心の栄養に一番よいのは申すまでもないが)
 僕はシューベルトを愛し過ぎてしまった。ことに『冬の旅』は若い頃から楽譜の隅々までそらんじているが故に、単純な和音の連打の中にピアニストがふと見せるほのかなたゆたいにさえ啓示を感じ、歌い手の発音の一つ一つに全神経を集中させて細かなニュアンスも聞き落すまいとする。その意味で、野武士のような風格を聞かせるゲルハルト・ヒュッシュのSP録音に始まり、前後数回に及ぶフィッシャー・ディースカウやハンス・ホッターの神品とも呼べる演奏、さらにヘルマン・プライ、ジェラール・スゼーと続く往年の名バリトン陣。女声からのアプローチとして往年のエレ−ナ・ゲルハルト(残念ながら抜粋)ソプラノの聖女ロッテ・レーマン、戦後の大御所クリスタ・ルードウィッヒ、現代の名歌手では特に北欧の鬼才、バスのマルッテイ・タルヴェラ、はては新宿の某ショップで自主復刻した世界最初の全曲録音ハンス・ドゥハンのLPという珍盤から日本語で歌う五郎部俊朗まで、手に入る限りの『冬の旅』を愛でてきた。中でも、ポリーニと組んだフィッシャー・ディースカウのザルツブルグ音楽祭ライブ(CD未発売・NHK-FMエアチェック・テープを秘蔵)と並んでベンジャミン・ブリテンの伴奏によるピーター・ピアーズ(63年ロンドン録音)の再発見、鬼気迫るほどの荒涼たる心証風景の表現を体験してしまった立場からは「シューベルトは古い」などと無礼な科白を吐く輩は絶対に許せない。例えば今、昭和の歌謡曲を聞いたら、懐かしさはさておき、その感覚のあまりの古さに辟易となることはあるだろう。しかしシューベルトやバッハが感覚的に古いだろうか。少なくとも「こうして聞くとゃっぱり古かったんだ」と納得できる新しさを提示してほしい。僕にとって『冬の旅』はバイブルのような存在だから、ツェンダーの楽書きくらいでは“古いの新しいの”議論する材料にはならない。音楽的次元が違い過ぎるのだ。(バッハの前奏曲の上に“Ave Maria”を落書きしてしまったグノーも非難されるけれど、この方がよほど可愛い。だって馬鹿馬鹿しいけど滅法楽しいじゃないか)僕は自分自身をそれほど保守的な人間だとは思っていなかったのだが、今度ばかりは許せない。疑問のある方、ツェンダー版を聴きにいらして下さい。それにしても8年も前に提供され、一度は黙殺(?)されてきた作品を、何で今頃また持ち出すのか。よくよく考えたら疑問がとけた。かつてのCDの提灯を持ってツェンダ−御本人やヴォルフガング・フィンクなるドイツの評論家の解説を一人で全て翻訳していたのが評論家の“N氏”であり、昨夜の朝日新聞夕刊に大仰な解説をお書きになったのも同じ“N氏”であることに気づいたのだ。この事実はどの雑誌も新聞も取り上げていない。ツェンダーを支持するN氏の個人的熱意は結構だが、これが普遍的に受け入れられるかどうかが問題である。僕はお気の毒ながら「また忘れられる」方に賭ける。どんな立派な主張をしても、音楽は美しく、楽しくなくちゃあ、大衆には捨てられますぜ。大衆の批判を甘く見たらあかん。おっと『冬の旅』は絶望的に暗い曲だけど、この音楽のカロリーの絶対的な高さを味わうのはやはり快楽というもの。もっとも、そのツェンダ−版を以前から知っていてCDまで持っていた男も、変な奴の典型だとは思うけどね。  
2002.7.26

 アンドレ・リュウ ベルリン公演(いやはや呆れて…)

 いつもはCDを聴いての辛口トークであるが、今日は珍しくテレビ番組を取り上げる。デジタルBS番組を何気なくザッピングしていたら表記の番組にたどりついた。番組解説によると「シュトラウスのワルツをクラシックとしてではなく、楽しめる音楽として演奏する」とのこと。まず、カチンときたね。ウィーン・フィルの演奏するシュトラウスは楽しい音楽ではないと言うのか。まあ、中身を聴かずに先入観念で批判しては失礼であるから、一応、アンドレ・リュウ様とやらの音楽をしばらくうかがいましたよ。まず、編成そのものは一見何と言うこともない普通のオーケストラに見える。ただ、タイトルにうたっていたシュトラウスは一向に出てこない。楽しい音楽とは何をさしているのか。間もなくゲストとしてロシアのストリート・ミュージシャンとおぼしきトリオ…ソプラノとバスのバラライカにアコーディオン(バイヤン?)を加えた編成。確か、加藤登紀子やダークダツクスの伴奏にも参加していたタイプだ。(同じメンバーであるかは不明)彼等を「優れた音楽家」と持ち上げてから弾き出したのが何とロシアとはゆかりもない『ララのテーマ』。何の変哲もない甘いメロディーが、特別の仕掛けもなく淡々と流れる。やがてお約束の『ポーリュシカ・ポーレ』と『カリンカ』である。リュウ先生はヴァイオリンを弾きながら指揮(?)のような動作をしてるが、ごく当たり前のクレッシェンドやロシア風のルバートが聞こえるだけ。それなのに、何とまあ驚いたことに、聴衆(年配の御婦人を含む)が立ち上がって踊りだした。自然発生的行為なのか「やらせ」なのか不明だが、ニューヨークのテロの報道に喜んで踊っていたイスラム過激派支持のおばさんそっくりに見えて無気味。そのうち、マンドリンと区別のつかぬバラライカが(何しろバラライカと言っても三角形でないもので…)豪壮な民謡『ステンカ・ラージン』を甘く切なくすすり泣くように奏でる。トリオが退場すると、天才少年打楽器奏者なる小学生らしき子供を登場させ、彼をフィーチュアしてラベルの『ボレロ』が始まるが、不思議なことに始まりがピアニッシモではない。この辺で仕掛けがはっきり見えてきた。会場はどうやらサッカー・スタジアムらしい。そこに集まった聴衆(観客?)は明らかに万単位の大観衆ではある。とにかく「善男善女」の集合であるらしく、ごく当たり前のテンポの変化や少しのクレッシェンドにドッと湧いて反応する。放送では最初わからなかったが、楽器はどうやら大音量で拡声されているらしい。おや、『ボレロ』にあらずもがなの女声合唱が入ってきた。ひとり一人の歌手の口のそばに小型マイクがついている。あれまあ、リズムを刻むドラムはいつの間にかマーチングバンドのように大人数になり、祝祭気分の大観衆はリュウ先生のわずかなアジテートに反応し、レーザー光線が飛び交い、きらびやかな照明を浴びながら噴水が上がり、スモークが立ちこめ、燃え上がるような炎がステージを包む。これはプリンセス・テンコーばりのイリュージョン・ショウだったのか? 聴衆の興奮はいやが上にも高まるが、それは音楽で興奮しているのではなく、サッカーのノリである。そう言えば、ワールドカップの興奮は純粋なスポーツの興奮ではなく、これとよく似た質のものだったぞ。いつシュートが決まるかわからぬサッカーの試合と決定的に異なるのは、全てが脚本に従って段取りが決まっていることである。聴衆はそれを承知で、ひたすらに「ノリたい」のではないか。リュウ先生、調子にノッて「今度は北米公演をする。アメリカの聴衆には由緒正しいドイツの音楽を聴いてもらう」と演説した後でベートーヴェンの交響曲第5番をやり始めた。このまま続くはずはあるまいと思ったら案の定、リズムが唐突に軍楽隊風マーチに変わると、鳴り出したのは「セントルイス・ブルース」である。映画のお好きな方なら、ここでネタが割れるはずだ。そう、『グレン・ミラー物語』である。兵役に引っ張り出されて軍楽隊の指揮を任されたスウィング・ジャズの巨匠グレン・ミラーは、単純なマーチに飽きて、自ら編曲した「セントルイス・ブルース・マーチ」を演奏、頭のカタイ上官は怒るが、兵士達は大喜びで生き生きと行進するという場面。次々と出てくるグレン・ミラーのヒット曲。ついにはマクグワイア・シスターズ(アンドリュース・シスターズか?)もどきの女声トリオが登場するが、下手で聞いていられない。それでも単純な聴衆はやんやの喝采。最後にはリズムはサンバに変わってブラジル・メドレーである。お気づきだろうか。全て1950年代のヒット曲、それも当時のサウンドそのままで、アレンジには何のひねりもない。『ボレロ』に至っては百年前の作品である。純粋なクラシック音楽なら何百年前の作品でも不自然ではないのだが、そのクラシックを否定して「楽しめる音楽」を標榜しながら半世紀ずれまくりナツメロ・パレードに老いも若きもノリノリである。
 現代のポピュラーはビートばかりでメロディーがない。その反動で日本でも平井堅の『大きな古時計』がヒットパレードのトップに踊りだしたりする時代ではある。でも、最もクリエイティヴなサウンドを創れるオーケストラが何故ナツメロ大会なのか。この“ノリたい症候群”の観客にくらべれば、モーニング娘。に声援を送る小学生の方がよっぽとマシな感じさえするぞ。「クラシックはつまらないから楽しくやる」だって? ふざけるなよ。お固い上に単純なドイツの聴衆はダマされるかも知れないが、アメリカのファンはそれでは承知しないだろう。まして「来月は日本へも行く」とのたまっていた。なめるなよ、ニャロメ! 
 かつて一般のファンから圧倒的な支持を集めたセミ・クラックスタイルのオーケストラ、例えば、マントヴァーニ(映画『グッドモーニング・ベトナム』ではつまらない音楽の代表扱いされていたが…)やスタンリー・ブラックなどの、往年の「ムード音楽」の方が、はるかに音楽的で、編曲にもオリジナリティがあった。昔は“教養が邪魔をして”このテのレコードには手を出せなかったが最近1000円盤CDを発売しているので、つい先日何枚かまとめて買ってきたばかり、すぐに比較試聴したが、まさに大人と子供。高校の野球部と西武ライオンズ、少年サッカーチームと浦和レッズくらいの大きな差がある。
 グレン・ミラーも今ではナツメロだが、当時はまさに革新的で個性的なサウンドだったし、映画にもあったように兵隊達までがその音楽に熱狂したのではなかったか。ロシア民謡は、ただ甘く哀しい旋律で、ひたすらむせび泣いたり、効果狙いのクレッシェンドやテンポの変化だけで楽しい音楽なのか。それが楽しいとおっしゃるなら、他人様の趣味に口ははさまないけれど「クラシックは堅くてつまらぬ」などと口が裂けても言ってはならない。そして言った以上は耳の肥えたファンをも唸らせる演奏をやってみせなさいよ。かのキース・ジャレットはバッハの平均律ピアノ曲集を無類の個性でみごとにに演奏する腕の持ち主で、決してクラシックの悪口など言わなかったし、バーンスタインはピンク・フロイドの大ファンだったぞ。まあ、議論するのも時間の無駄とは承知しているけれど、日本のテレビ局も、いくら番組ソフトが足りないからと言って、こんなマガイモノを買ってきて、彼等の主張をそのまま放送することはやめてほしい。
 おまけに、この放送「ハイビジョン」という名目だが、どう見てもハイビジョンの画質ではない。普通のテレビ画面の上下を切って「横長」いや「縦短か」にしただけの不鮮明でボロボロの画面に、ただただ派手にミキシングした歪みだらけの音響が乗っているだけの代物。こういう手合いの存在を許しているのは、有り体に言って聴取者がバカにされているからであって、文句を言いながら見ている奴はますますバカだと気づくと呆れ果てて腹も立たない。
    
  
なお、この番組のD-VHSビデオテープは怒り狂って直ちに消去してしまいました。      2002.9.16                         



くどいようですが、もう一度こちらをどうぞ

(これで無限ループが完成します!?)
 


 演奏会曲目記録『どこでもドア』

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